書生は所詮、小生と称せん。

日々のなにがし、ときどき旅行記。

潔癖症とソーシャルディスタンス

「私、潔癖症なんだよね。」

過去に、そう告白した友人がいた。

実際のところ、その友人は、私がこれまでに知り合った中でもかなりレベルの高い潔癖症だった。

図書館で、常にビニール手袋を着用し、自分の座る席と机に持参した新聞紙を広げてから着席するような老婆を見たことがあるが、いかにも社会とは隔絶されたような風貌だったし、知り合ってはいないので、こういった例は除いておく。

友人は、普通に仕事をして、電車通勤も行い、趣味でライブやスポーツの観戦をするような、至極自然に社会生活を営みながら重度の潔癖症であった点が、私から見て非常に特異であったのを覚えている。

彼と付き合っていて驚愕したのは、石鹸で身体を洗う頻度である。

どこかへ外出した際は、帰路に着く直前に必ず一番綺麗そうなお手洗いに立ち寄り、そこで入念に手を洗った上で、さらに除菌シートでその手を拭きあげる。

そして、家に帰った直後には、数種類の石鹸やボディーソープを用いて、3〜5回ほど手と足を繰り返し洗うのだそうだ。

そこまでならまだ綺麗好きな感じの印象も受ける。

しかし、字面だけではわからない特異さが、実際に直面すると彼にはあった。

それは、匂いである。

漫画を読んでいると、旅行先などで風呂上がりのヒロインと遭遇した際に

「うわ、せっけんの良い香り・・・!」

といったシーンに時々出くわす。

こういったシーンに象徴されるように、ほのかにせっけんの香りがするというのは、非常に清潔感にあふれ、また、好意的な印象を感じると思う。

かくいう友人も、結構な頻度で手洗い等をしているのであるから、当然にせっけんの香りがする点は同じである。

しかし、なんというか、本当にせっけんの香りしかしないのである。

上記の漫画のシーンのような場面に現実で直面することもあるが、その際に我々が感じるのは、せっけんの香りとは言いつつも、正しくは「甘さや爽やかさを内包したボディソープやシャンプーの香り」であると思う。

一方で、友人は、純度100パーセントのせっけんの香り。

香料等の含まれない本当のせっけんの香りしかしないのである。

私にとっても、せっけんの香りというのは、上記のとおりの印象であったため、友人から感じた香りは、自分の中で辞書の改定が行われたような衝撃だった。

そんな友人は、他人(特に彼自身が生理的に嫌悪感を抱いていた中年男性)が触れたものには、なるべく手を触れるのも嫌がっていた。

だから、私も、友人から袋入りのお菓子を

「渚くんも食べる?」

と袋ごと差し出された際は、物理的にどのように受け取れば良いのか、一瞬のことではあるが本当に悩んだ。

私自身は、手を袋に差し入れて、お菓子を指先で摘ませてもらっても、あるいは友人が素手で手づかみしたお菓子を手渡しされてもなんとも思わないのであるが、友人からするとどうかというのは全くわからないからである。

結果として、私は

「ありがとう」

そう伝えながら、友人が袋を振って出てきたものを、自分の手で受けとれる姿勢をとった。

紙皿やティッシュも近くにない状況で、接触なしでお菓子を受け取る方法としてはこれがベターだと考えたからだ。

しかし、それに対する友人のリアクションは、

「え?全然袋からとってくれていいよ〜」

だった。

些細なやり取りではあるが、かなりの衝撃だったのを覚えている。

冷静に考えれば、友人は不特定多数の利用する電車でも、隣に人が座っている状況で着席して移動しているし(しかし、立っている時に吊り革はなるべく持たない。持った時には、ハンカチ越しに持っていた。)、飲み会の際にサラダや鍋料理が出た時は、直箸ではないにせよ取り分けて料理を口に運んでいた。

潔癖症ではない私からすると、どこまでが接触を許せる、あるいは後で洗えば良い範囲で、どこからが嫌なラインなのか、いまでもさっぱりわからない。

しかし、彼とは何度か遊びに行ったし、彼は社会生活を破綻させずに営んでいた。

 

4月頃から、ソーシャルディスタンスという言葉が叫ばれるようになってきた。

外出の自粛も始まり、私も基本的には人との接触をなるべく絶った生活を維持し続けている。

5月の下旬には緊急事態宣言も解除され、相変わらず不要不急の外出は避けるべきではあるが、一応のところ外を出歩いたりすることもできるようになった。

しかし、どうも以前までのように外出する気持ちにはなれない。

周囲では、夏休みの旅行の計画をなんとなく考え出す声も出てはいるが、私は公共交通機関を利用することや宿泊施設に泊まることを考えると尻込みしてしまう。

その理由は、おそらくコロナウイルスに関する知識の不足だと思う。

正確に感染のプロセスの知識があれば、明確に引き続きどこまで自粛しなければならないかを決定することができるのだが、恥ずかしながら私はあまり知識がなく(もしくは整理できておらず)、警戒を一番高いレベルのままで据え置かざるを得ない状況になっているのだと思う。

正直に言って、このまま日常生活が戻ってきたとしても、以前までと同じように友人を含む他人と触れ合うことができるのだろうかと思うと少し怖い。

友人を遊びに誘うのもためらわれるし、まして気になっている女性を食事に誘ったりするのは難しく感じてしまう。

時間が経てばこれまでのように他人と接することができるのだろうか。

物理的なソーシャルディスタンスが解除されたとしても、心理的なソーシャルディスタンスは根深く残ってしまうような気がしてならない。

もちろん、その人が神経質かどうかなど、属人的な要素はあるとは思うけれど。

こういう時こそ俗にいう「陽キャ」になりたいと切に思う。

【感想】旅のつばくろ

沢木耕太郎の旅のつばくろを読みました。

一緒に「イシューからはじめよ」も購入したのですが、こちらはなかなか身が入らずまだ読めていません。

こっちの方が仕事のこととか考えると先に読んでおく気もしますが、楽しい方は優先してしまうのも仕方のないことかと。

 

この書籍は、JR東日本トランヴェール掲載の著者の国内旅行のエッセイをまとめたものだそうで。

正直なところ、東北新幹線とかに乗っている時には流し読みの感じで、それほどグッときませんでした。

おそらく、東北新幹線に乗る時ってだいたい腰を入れた旅行だったりしたので、行き先での楽しみだったり、帰路の疲れが上回っていたからかなと思います。

しかし、ニュースアプリでサンプル公開されていた話(岩手の話と竜飛崎の話だったと思います)を読んでみると、とってもいいなと思ったので早速Kindleで購入してみました。

私も国内47都道府県にはすべて旅行で訪れたこともあるのですが、知っている情報もあれば新たな情報もあったりして、懐かしい気持ちと新鮮な気持ちで読むことができました。

特に、著者のその土地が自分にとって点であるか面であるかという捉え方には、自分がこれまでうまく言語化できていなかった部分をはっきりと表してもらえた気がしました。

すべての都道府県を回ったとしても、まだまだ行ったことのない場所もたくさんあり、とてもでないがその土地を面として捉えられた土地は、住んだことのある土地でない限りほとんどないと思います。

それこそ、自分が居を構えたところ以外で面としてその土地を捉えられたところがあるとするならば、遠距離恋愛をしていた際に頻繁に訪れていた交際相手の家の周辺くらいでしょうか。

そのように思うと、まだまだ国内旅行も単純に新たな場所に訪れる楽しみ、再訪する楽しみが山積されているように思えて、ますます今後が楽しみになります。

そして、著者が過去に訪れた土地を再訪した際に、過去との違いを感じている様を読んでいると、旅行には横の軸(土地としての軸)の楽しみだけでなく、縦の軸(時間の軸)を楽しみもあるのだなと再認識しました。

これまで、「若いうちに国内旅行よりも海外旅行を先にしておくべきだっただろうか・・・」ということは何度も自問自答していたところであるのですが、若かりし頃に縦の軸に楔を打ちこめていることは、それはそれで価値のあることだったのかなと、この本を読んで思えます。

 

この本を読んで、著者の語り口がとても面白く感じたので、現在は同著者の「深夜特急」を同じくKindleで購入して読み進めています。

旅行者必読の名著と呼ばれる本書ですが、なかなか手を出せていなかったので、これを機に楽しんでみたいと思います。

(イシューから始めよを読み始めるのはいつになることやら笑)

都会に住むこと、地方に住むこと。

私は地方の出身者です。

実家は最寄駅まで徒歩45分、JRは1時間に1本だけ。

私鉄は1時間に3本走っているけれど、駅までは徒歩で1時間45分。

地元自体は本当にローカルもいいところなんだけれど、電車に乗れば1時間程度で5大都市にも出ることができる。いまになって思うとなかなか利便性は悪くない土地です。

 

大学生活を結構栄えている地方都市で過ごし、就職を機に東京で5年ほど暮らしていました。

いまは転勤の関係で、地元と雰囲気の似た地方で暮らしています。

転勤先でクレイジーなことをせずに3〜5年を過ごすと、また本部のある東京で仕事をすることになるのですが、いまは東京に戻ることが本当に良いことなのかと考えてしまいます。

というのも、正直私にとっては東京の暮らしがあまり魅力的ではなかったからです。

 

まず、満員電車を我慢できませんでした。

私は快速と各停が並行して走っている沿線に住んでいたのですが、少しでも混雑を避けるためにいつも各停に乗っていたほどです。

なんなら、朝も来た電車に人と物理的に接触しないと乗りこめないようなときには、一本見送ってから乗車したりしていました。

 

次に、思ったより都会のイベント性に魅力を感じなかったこともあります。

ネットやテレビで特集されたりしてもてはやされているものも、実際に行ってみると

「これ人が多くて雰囲気で盛り上がってるだけで、地方で同じことしたり同じもの出してもこんなには盛り上がらないよな・・・」

と思うことが多かったです。

 

もちろん、都内にしかないありがたいものも沢山あります。

たとえば、

・オフ会等の交流会がめちゃくちゃ簡単に開催、参加できる

・博物館、美術館とかの規模、種類が異次元

・手当含めて給与が高い(転勤して実感)

・欲しいなって思ったものが2〜3軒お店を回ると大体現物チェックできる

・飲食店の種類が多い(ラーメンだと、地方では熊本ラーメンとかそもそも店がない)

とか、自分結構都会好きなんじゃないかって思うくらいいろいろあります。

そうなんですよね、書いてて思うんですけど東京って面白いんですよね。

ただ、メリットデメリットの話になった時に、どっちに天秤が傾くかがその人次第なだけであって。

 

私は、地方に転勤になって、最初は地方の何もなさに絶望しました。

といっても、「何もなさ」ではなくて、「東京で感じたメリットがないこと」だったんだなっていまならわかります。

海なし県に海の魅力がないのが当たり前のように、東京とおんなじ魅力は地方にはないってそんな簡単なことだったんですけどね。

そんな感じで、最初は東京で感じたメリットが失われて残念がっていたのですが、

いまは東京で感じていたデメリットが結構な割合で消失したことに喜びを感じています。

例えば

・通勤で満員電車に乗らなくてよくなった(好きな自転車で通勤)

・部屋が広くて趣味のものがいっぱい広げられるから、頻繁に触れられる(東京にいた時はと

 にかく収納してた)

・部屋が広いし、知り合いが大体車持ちだったり、近くに住んでるから、家で遊んだりふらっ

 と遊びに行ったりしやすい

・職場の人数が少ないから、みんな知り合いで合わない人を除けば大体仲良くできる(本部に

 いたときは、部署が違えば別会社かよってくらい部署間でバチバチなクレーム投げ合ったり

 してて疲れた)

・アウトドア趣味がしやすい

とかです。

 

こう書いていると、次の転勤で都内に戻る旨味は私にとってはあまりないなと思いました。

デメリットの方がサクサク書けちゃう。

いうて、いま住んでる地方は出身地でもないし、なんなら地元からめちゃくちゃ離れてる縁もゆかりもない土地なので住み続けるのもうーんというところではあるのですが。

私は東京に住んでいてストレス解消とかリラックスするのにも一苦労な感じだったので、やっぱり根っからのカントリー気質なんだなと思いました。

出身者以外で都会の暮らし満喫できる人ほんとすごい、私もそうでありたかった。